記憶をひもといて:石焼きイモ

 店内で知人と立ち話をしている真横に来て「買ってくれ」と、イゾポール(発泡スチロール)の箱に入ったイモを突き出した。「石焼きイモ」だと言う。

 家で炭火を起こした時は、残り火を利用して銀紙でくるんだサツマイモを二、三放り込み、熱々を頬張っていた。しかし「石焼きイモ」ではない。これは家で作るイモよりもっと旨いかも知れない。好奇心も手伝って購入した。安くはない。生イモなら五キログラムは買える。この値段で売れるのなら、いい商売になるな。もう働いていないのに、ベンデドールとしての昔の癖がチラリと顔をのぞかせる。

 帰宅後、チンして暖め、食べてみたがイモは国産、さ程目新しい点は感じられない。

 東洋人街に行く毎に気をつけていると、何時の頃からか特定の場所に陣取り、やがて屋台まで構え、イモの入った大きなイゾポールを景気良くドン、ドン、ドンと降している場面に出くわした。

 日系人のみならず、ブラジル人にも受け入れられたようで、これだけ売り切るのなら、最近にないヒット商品だと、他人事ながらこの事業を考え、実行した人に拍手を送りたくなった。

 然し、世の中そんなに甘くはない。恐らくやっかみ半分の告げ口だろう。或る日、検査官がやって来て「許可証無しでは云々」と屋台毎そっくり没収していった、との話が伝わった。

 無許可では話にならぬ。東洋人街はたとえ路上でも、言ってみれば或る種の檜舞台。生半可な気持ちでは商売は出来っこない。安心して商売をするためにはどこかの店の軒先を借りるか、許可証はやっぱり必要。ついでにイモの種類を日本のイモにすれば日系人のお客も増えることだろう。

 或る時、ゲート・ボールの友人が訊ねてくれた。日本種のイモのツルは要らないか、と。二つ返事でもらって植えた。その年は秋、冬と気温がさ程下がらず、春先まで持ち耐えたイモの苗は、春から夏に青々と繁り、秋にはイモが収穫出来た。煮て、焼いて、どんな方法で食べようが流石日本のイモ。「九里、四里、旨い十三里」独りでにこの句が浮かんで来るぐらい「ほっこり」していた。

 これなら石焼きイモを自分でも試せると、手頃な石を集めだした。準備が整った頃には、収穫したイモは無くなっていた。

 それからが大変で、秋に収穫したイモを春先まで保存して、苗をつくる方法、イモが確実に肥る植え方など二、三年試行錯誤の未、やっと今年の秋には収穫し、石焼きイモが出来るぞと秋が来るのを心持ちにしていた昨秋。

 時期が来て蔓を刈り取り、イモを掘り起こそうとしたら、植えたところに大きな穴がポコッポコッと空いていて、イモが消えていた。野鼠に全部食われてしまったらしい。予期せぬ伏兵にガッカリして、夢の実現が一年先送りとなってしまった。ニックキは野鼠の奴!

(2009年5月29日)