サンパウロからの小話21 三代目(A 鎌谷)

 養鶏事業が近代化され、鶏の飼育羽数が増大すると、新しい病気もふえていった。ふ化場勤務が少し慣れたころから、その病気の予防接種はふ化場ですることになり、養鶏先進国からワクチン接種時に使う連続注射器が取り寄せられた。先進国は、全ての面で一歩も二歩も先を行っている。

 日本製と米国製の二種あって、前者は精巧に作られ、長時間連続使用しても疲れないよう操作は滑らかである反面、チョットしたことで動きが止まり、分解、点検、組み立て、などの整備があり厄介な一面がある。それに反し後者、米国製はワクチン接種量の正確度は多少落ち、操作も滑らかさに欠けるが丈夫で長持ちの利点がある。用いる人の性格に合わせて好きな機種を使ってもらった。

 そんな経験があったから、仕事が巡回指導技師になったとき、やはりお国柄、性能に差があると気付いたものがある。技師も訪問する養鶏家の人柄がわかるまでは、遠慮がともなう。話も最初は養鶏場の一隅で、その次は居間、最後は日本人の場合は台所になる。そこが一番落着いて、本音でしゃべれる場所なのかも知れない。そのうち二人の話にはお構いなしに奥さんは台所仕事をはじめ、ブラジル製のミキサーを使い出すと会話が聞き取れないほど音が高い。そうすると遠慮なく言葉が飛ぶ。あの頃の男性は断然強かった。

 「もっと音を下げろ!」テレビではなし、音量調整のツマミはミキサーにはついていない。無理な注文だが、実際音は高すぎた。その時になって、我家で日頃使っているミキサーの音は随分低いことに気が付いた。訪日の際、家内が持ち帰った実用一点張りの日本製。低音という点ではブラジル製より優れていた。卵の景気がよいと、気軽に訪日する人達だから、次回はミキサー担いで来なさいよ、で話は落着く。

 我家の初代は、ある時手が滑り壊してしまった。回転刃が取り外せ、研げる点が気に入って、次も同じモデルがいいね、と頼んだが10年以上同じモデルが続く日本ではない。二代目の刃は固定式。研ぐ必要はありません、との自信の作か。速度変換は押しボタン式。簡単にはなったが、これも長年月の使用でボタンの接触部分が悪くなり、修理は無理だった。時間を経て三代目がやってきた。

   売り家と  唐風に書く  三代目

 初代の遺産も三代目には使い果て、邸宅を売る羽目にもなるが、売り家と書くその筆先は遺産で身につけた唐風、生活力には役立たぬが教養だけはある、古い川柳だからもう現代では通用しないかと思ったが、口先ばかり、実行力の伴わなかった初代民主党首相(祖父は優れた政治家)を例にこの句の説明があったので、未だこの句は健在なのだろう。三代目のイメージはどうしてもマイナスの面が強い。ミキサーは小型化し、デザインはスマートになり、使用後の掃除も簡単と随分進化したが、故障したら修理はきかない。

 壊れんでくれよ、と腰のあたりをそぉーと撫でた。