サンパウロからの小話16 デン走ろうよ(A 鎌谷)

 デン助は昨年2月ゲートボール場に捨てられていた。台所の下にうずくまり、動こうとはしなかった。オスのプードルで推定年令10才、と獣医さんのみたて。気付いた仲間が水や持参したオヤツを近くに置いてやるが、食べているのか、いないのか。競技の合間にときどき眼をやると、いつもじっとしている。クルビにはときどき迷い犬もやって来るが、間もなくどこかへ姿を消す。しかし、この犬は動こうとだにしない。

 気になるひとがいて、誰か犬好きの人に愛玩用の小形の犬だから引き取れないか、と話したり、電話をかけたり、その間3日間。

 午後以降は誰もいなくなった球技場の片隅で犬はたった一匹、静かにうずくまったまま時を過す。犬好きの人には3日間は我慢の限界だったのだろう。獣医さんのところへ連れて行き、身体をチェックしてもらい、虫下しを与え、身体をきれいに洗って犬は、我家のベランダに放たれた。デン助の名はその時つけられた。

 近くでよく見ると、大層かわいい犬である。一体誰が捨てたのか。どうして捨てたのか。身近でこの犬を観察し捨てた持主の素顔に迫ってみようと考えた。神経が少々繊細な犬なのか屋外で飼おうとしたが、既に3匹いる牝犬達と一緒でも元気は回復しない。思い切って台所の一隅に寝床を作り、そこへ移すと安心したのか徐々に元気を回復した。

(この犬のにわか仕立ての飼主でさえかわいい犬だと思うから、捨てた家族に子供がいたとは考えにくい。この犬を捨てるのに子供の同意を得られるはずがない。それ故、子供のいない夫婦二人きりの犬だろう。飼えなくなった理由として、連れ合いが亡くなったと考えてはどうだろう。片方が亡くなったとする。ただでさえひっそりとした部屋、犬を手放せばいよいよ寂しさは増す。犬は今まで以上に必要とされるから老人夫婦がこの犬の飼主だったとは考えにくい。それなら子供のいない若夫婦の犬。その一方が亡くなって面倒見きれないのでやむなく捨てた。可能性はこの方が高いがもう少し観察をつづけよう)

 既にいる3匹の犬達には朝と夕方の2回、ごはんとドッグ、フードを混ぜてやる。デン助も同じようにもらうのだが、食べるのはさほど熱心ではない。それでいて私達が食事をしだすと寝床から出てきて側までき、坐ってじっと待っている。明らかに食事のおねだりをしているのだが変なクセはつけまいと私は食事に専念するが、家内は負けて食事の一部をデン助が食べ残したごはんに混ぜてやる。そうするとペロリと平らげて自分の寝床に帰っていく。

(前の飼主からは、食事のたびにもらっていたらしく、味のついた食物が大好きで、パンでさえ喜んで食べる。パンには塩味がちゃんとついている)

 最初は弱かった後肢の左も運動量が増え、丈夫になってくると本当にほしい時は後肢で立ち上がり家内の膝に手をかけて盛んにしっぽを振りおねだりの動作が活発だ。なかなか賢い犬で、人の気持ちが分かるのか憎めない。私ではもらえないと見抜いているのかも知れない。

 室内で飼って困るのは排泄の件。どうなるかと心配したが、用のある時は何かそれらしい眼で私達をみつめる。急いで戸口を開けてやるとサッサとでかけ、庭のどこかで用を足しているらしい。ときどき寝床にいないことがある。戸口は食器棚の後に位置して見えないので近づくと戸口の前に坐って待っている。台所仕事が忙しいと気付かぬことがある。それに業を煮やしたのかある時から「ワン」と鳴きだした。

 「フーン、お前は賢いね」と言いながら外へ出す。以来安心して台所仕事ができるようになった。「ワン」といって外に出る。戻ってきて「ワン」と鳴くまで時間がかかるのに、その時は外へ出たと思ったら「ワン」と鳴く。

「オイオイそんな戸口でオシッコはご免だよ」としかるつもりで戸を開ける。

「これでは通れないではないか」と仲間の犬のテリトリーに通ずる小さな戸口の前で、坐ってこっちを見ている。なにか小さな動物に人間が使われているような気もするが、それでもお前は本当に賢いねと感心しながら戸を開けてやる。

 デン助が我家に来て3?4か月は何事もなく順調に全てが過ぎていった。ときどき台所のタイルの床が濡れている。点々と水滴が落ちているので、私が手をふかずに濡れた手のまま便所に走ったせいかと思ったが度重なると犯人はどうもデン助くさい。朝起きると2度ばかり台所の一隅にバッチリと小水が貯められていたので、私達が寝る前にデン助を一度外に連れ出して小用をさせておくことになった。犬も眠いと機嫌が悪い。変に手を触れようものなら「ウ?」と怒る。仕方がない。少々乱暴だが身体の下に両手を差込み有無もいわさずサッと抱き上げた。「ウ?」という暇も与えぬやり方に巧くいったとニヤリとしながら「アレェー」と思った。この犬全身の力を抜いている。抱き抱える者には非常に抱え易い。まるで人の赤ん坊を抱いているようで、両腕の中で安定した形が形成される。遠ざかって久しい我子を抱いた時の記憶が蘇る。外に出て地面に降ろす。ゴソゴソ動き場所を決める。続いて又「アレェー」と思った。この犬オスなのに坐って用を足している。

 考えてみれば室内で飼われていた犬、坐る習慣は強制されて覚えたもので、そうでないと室内で用を足す砂場の広さはかなりいる。それにしてもよく教え込んだものだと感心した。坐ってするオシッコとそれ以外にも私達がソファーでテレビを観ているとデン助が近づいてきて、椅子に手をかけ私達の顔をまず見る。何事もとがめがなさそうだと見て取るとサッと飛び上がる。決して一直線には上がらない。そういうこともこの犬に教え込んでいる。幾ら室内飼育の犬とはいえ、身体は少しずつ汚れてくるだろうし、汚れた身体でソファーに上がれば椅子も少しずつ汚れは付く。身体をきれいに洗った後なら椅子の上に飛び上がるのも良しとの許しが出たのかも知れない。

(オスなのに坐ってオシッコをする。ソファーに上がるときは一度訊く。チャンとそれを教え込んだ人、多分それは女性だ。男性ならもっとずぼらなところがある。この女性かなり厳しい性格の人と感じられた。犬の年令も考えると、女性の年令は40才過ぎ?のひとか)

 犬達に薬を与える時、夫々の体重が必要になる。一匹ずつ抱きかかえて体重計に乗る。

犬達は四肢をピンと伸ばし、身体はコチコチなのにデン助はサッと力を抜いてくれる。それはこの種の犬の習性なのか、それとも躾の厳しい女性に教え込まれたものなのか。育種家が愛玩用の犬の特徴として、品種固定の際に取り入れたものなのか。素朴な疑問が湧いてきた。

 世に育種家と呼ばれる人達がいる。人が求める動物や植物を、選抜と交配を繰り返し、徐々に理想に近づける。植物では近年、遺伝子組み替えの技術まで用い、不可能とも思えることを実現させている。

 最近のケースでは「青色のバラの花」非常に難しく、製品は貴重なものらしい。その花を苦心して入手し、意中の女性に思いを込めて差し出したら感激してプロポーズOKのサインをくれたというから「青色のバラ」当分は男性の心強い味方になってくれるかもしれない。

 動物の方で心に深く残っているのは「ブルドッグ」に託した育種家の思い入れ。あの犬だけがどうして顔をペシャンと押しへしゃげたように変っているのか。

 NHKの番組で知ったのだが、英国人は犬と牛との戦いが大好きな国民のようで、犬が牛に勝つためには犬は牛の身体にかぶりつき、絶対に振り落とされないようにしっかりとへばりついていなければならない。鼻が高くては呼吸が困難。鼻は低く、より低く。現在の姿になるまでに800年の年月を費やしたという。英国人特有の頑固なまでの国民性抜きにはあの犬の固定、作成は不可能だったかも知れぬ。一人や二人の酔狂な育種家だけで達成できるものではない。

「800年」一体何人の育種家が関わったのか。

「ブルドッグ」、がっしりとした四肢、大きすぎる頭、固定化された犬は牛との争いに勝利するのであろうが、自然分娩は不可能。子犬の誕生には総て帝王切開が必要という。人の望みはおそろしい。

 そういう育種家の気質を知ってある時同じ種類の犬を散歩させている女性に聞いてみた。「抱くと力を抜くよ」との返事。フーン育種家とはすごいことをする人達だと感心した。

 デン助は元気になると屋外にでることが増える。小さいのがチョロチョロされると車を動かす時に危ない。首輪をして繋ごうと鎖のついた首輪を持って近づいた。デン助の態度が急変した。身体全身で嬉しがり、はしゃぎだす。首輪を早くつけろと催促する。

(昔の飼主も時には散歩に連れ出していたのかも知れない。時間が取れなかったのか散歩は本当にたまたまのことなので犬にとっても大層嬉しかったのだろう。女性はどんな仕事をしていたのだろう)

 家内にブラシでといでもらった長めの髪を風になびかせ、広場をトッとトッと走る。散歩がそんなに嬉しいのなら毎朝行こうと日課になった。

 散歩に連れ出すと立ち止まってオシッコをする。なんだ片足上げてできるじゃないか。何も言わずに上から見ている。犬の方はとがめられないのが嬉しいのかこれ見よがしにあっち、こっちに片足をあげる。塀を前に右足をあげる。いやいやここは左足。身体を方向転換して構えるが、思い直してまたやり直し。右だ、左だと向きを変え上からじっと見ているとまるで塀を相手にターンを繰り返し、ワルツでも踊っているようだ。左肢は本当に良くなったと安心する。

 デン助の元気な様子に安心して家内が2週間家を留守にした。翌朝デン助の急変は病気になったかと思われるほどひどかった。大丈夫、私がちゃんと面倒みてあげるからと今まで以上にスキンシップ。次の日から元気を取り戻し、私に対するデン助の態度がガラリと変った。

 デン助が我家に来た時は、家内に抱かれてやってきた。以来、デン助にとって家内が第一の主人、私は第二である。二人で外出から帰宅する。玄関の戸口を開ける。デン助は尻尾を振って家内の方には行くけれど私の方はチラリと見るだけだったのが寝床からでて尻尾まで振ってくれるではないか。そんな気づかいまでするデン助の気持の繊細さがいじらしい。家内が不在で時間はたっぷりある。一度遊ばしてみるかと仕掛けるが遊ばない。遊ぼうとしないのではなく、遊び方を一切教わっていない様子だ。

(子供がいる家庭なら、子供は犬と一緒に遊ぶ。子犬の時から飼い始めるから、夫婦二人切りでも男の方はよほど犬嫌いでもない限り犬と遊ぶ。デン助が遊びを知らないのは夫婦二人切りの家庭で飼われていた犬との考えを根底からくつがえす事実だ。ソファの上に飛び上がるのも一呼吸のち、そこまで犬に教え込めたのも女性は独り暮しだったから完全に成し遂げられたのだろう。男性がいてはここまでは少しムリだったかも知れない。女性は結婚してない人だ)

 遊びに時間をかけて分かったのは手マリが気に入ったようだ。それとて遊ぶのではなく両手でしっかり抱え込んでいる。構わない。右手を伸ばし取ろうとすると左を向いて「うぅー」そうか、それならチョッと失礼と左手で手マリを突付く。右を向いて「うぅー」

右だ、左だ、と速度を早め、ときにはゆっくりと繰り返す。遊びの真似ごとが成立する。手マリはいつも寝床の側におくようになった。

 家内が帰る4日前から尿が漏れ、血が混じり、膀胱炎が再発した。今回は処置が早く大事には至らなかったが二か月後の再発は少しおかしい。獣医さんはデン助を再検査。腹部のしこりを発見し、精密な機械検査の結果簡単な手術に踏み切った。

 元気に退院してきたのだが初回の時も投薬を開始すると同時にひどい下痢になり寝床を汚したくないのか外ヘ出たがる。1?2時間置きの激しい下痢が続く。心配した家内は急きょ台所に寝床を作り看病したが、今回はおう吐が激しい。水、僅かの食事、全部吐き出す。ひっきりなしに吐く。退院後一週間は水を与え、点滴しながら投薬で吐くのを止めるのに必死。二週目は水分補給と病犬食給与、しかし食べない。第三週目、水分補給と強制的に食物を口に入れるが弱り果てた身体の最後の力をだすように抱かれたまま身をよじって逃げる。本来なら大好きな味付きの食事ですら食べない。水は飲むから抱きかかえて外に出るが、用を足すのに最早自分の四肢では身体を支え切れない。両手を腹に入れ抱きつるした感じで用を足す。元気で退院してきた時は、「明日は一緒に走ろうね」と希望を持って寝床のデン助に話しかけていたけれど、3週間を越すと「デン助、もう一度一緒に走ろうね」とはいってはいるが希望などもう遠くへ飛んで行って、それは祈りにも似た悲痛なつぶやきに変っていた。

 第四週目、水と点滴だけではそれが限界だったのかデン助は静かにこの世に別れを告げた。腹部のしこりを見つけたとき、獣医さんはこの病気ゆえに元の飼主はこの犬を捨てたのだろうと話してくれた。

(元の飼主はこの犬の看護に経験があったのか、或は術後の経過を詳しく掛りの獣医さんから聞いて、看護と仕事は両立できぬと判断し、女性は仕事を選んだのだろう。躾に厳しい如く自分の仕事に対しても手を抜くことは嫌だったのかも知れない。仕事は責任ある地位の女性なのだろう)

 デン助、前の飼主についてはもうこれくらいでいいよね。これからずっと、ずっと先、万一もう一度この世に生まれてくることがあるとして、二つ約束してくれないか。

 一つはお前の名前、名札に書いてつけてもらって来い、デン助はいい名前だと思ったがこの名で呼んでもチットも嬉しそうでなかった。

 二つ目はこの方がもっと大切なことなのだが次に奥さんと出会うときはもっと、もっと小犬のときにしろ。黒い輝いた眼でしっかりとみつけるのだぞ。そうしたらいろんな遊びが一緒にできるから。

「さようなら」私達夫婦に賢いが物言わぬ奇妙な孫がきたような、

幸せな気分を与えてくれて「ありがとう」

    さようなら  たった五文字の言なれど、

    あふるる思い  胸の内には

    主去りし  寝床と手マリ  寒けれど

     共にすごせし  日々はあざやか