記憶をひもといて:記録保持者

 振り返ってみるとこれは、コチア産業組合(ブラジル:日系の巨大農協:一九九四年に倒産)がまだ華やかなりし頃のお話です。

 当時組合には、いろんなセトール(部署)があって、必要に応じて組合の自動車が配置されていました。これ等の自動車は、たとえ免許証を持っている人でも、組合本部が実施する運転試験に合格しなければ勝手に乗ることは出来ない建前でした。仕事柄、車を使う必要が日に日に強まり、ある目上司から本部へ行って試験を受けてくるようにと言われました。「前もって言っとくが、うちのセトールから受験した者は、皆んな一発でパスしとるから、あんたもそのつもりで!。滑らんように半日特訓するから、あしたベテランの運転手と現場へ行って、よーく練習しておいで。一発で通るんだよ」

 翌朝、現場でそのベテランの運転手の注意事項です。「試験官が乗って来ても気にせんこと」、「車に乗ったら、まずバンコ(椅子)、三つのエスペーリョ(鏡)を自分の位置に合わす。これはたとえ合っていても少し動かす」、「それからポント・モルト(ニュートラル)にしてエンジンをかけ、前後、左右を見てブレーキを緩め発車」、「チカチカを出して右折れし、ここで停まる」そこには貨物車の引き込み線路があって、昔コチア産業組合飼料部の飼料生産量が高かった頃には、ミーリョ(トウモロコシ)を貨車で買い付けていて利用していたものですが、その頃は全く利用せず、汽車は久しく通ったことはありませんでした。運転手はやさしく、諭すように言ってくれました。「汽車はヌンカ(決して)通らないけれど、試験の時は一?「程」手前で止まって、左右を見て発車。一?「程」手前で止まるのよ。忘れたらダメよ。汽車が来ていなくても止まるのよ」。

 注意点を記憶に刻み実際に走らせ、特訓は終わりました。試験の要領と注意点を前もって教わったことで、頭の中には一応のシナリオが出来上がり、これなら試験日でも大丈夫じゃないかと思える程になりました。

 試験当日、車はコンビ車(バン型の車)でした。試験官は二人、助手席と後方バンコ(椅子)に乗り込んで来ると、「発車」と言うや否や、後に身を乗り出すようにして二人はおしゃべりに夢中でした。「あんさんの運転技術なんて、横に乗ってりゃ分かるもんよ」とでも言う風な感じでした。「試験官を余り気にせんように」との忠告は真にシナリオ通りで、気持ちが楽になりました。しかし慎重にバンコ、エスペーリョを合わせ、頭の中のシナリオを思い出しながら道路に出ました。問題の遮断機のない踏み切りは、直ぐに見えてきました。二?手前、一?手前」と頭の中で反復していました。そして何時の間にか、一?程手前の「程」が消えているのに気づきませんでした。線路に近づくにつれ、驚いたことに機関車だけがその時走って来たのです。一?手前、一?手前と心の中で繰り返しながら一?手前でピタリと止まりました。コンビ車の中から見上げると、真近で見る機関車は、巨大な鉄の塊で迫力もすさまじく、流石力持ちとの印象が強烈でした。それと同時に一?手前は余りにも近づきすぎたかなとも考えたその一瞬、あれ程話に夢中だった試験官が機関車の轟くような音でさっと前を向くと、ありもしない助手席側のブレーキを盛んに足で踏む真似をしていたのです。車が止まるとホッをした様子が横で見ていて分かりました。機関車が通り過ぎ、さあ発車と思ったら試験官が一言「戻って」と言われ、試験にパスしなかったことを悟りました。一?程手前は汽車が通らない時のことで、本物が来たらせめて二?程手前で止まらないことには、一?は余りにも間近すぎて、かぶりつきで見上げる機関車は巨大すぎて怖い位でした。

 「ダメだったんだってえ、一度で通らんのはあんたが初めてだけど、まあしょうがないわ。来週もう一度行っといで」注意点、運転コース、試験官二人、コンビ車、全て先週と同じでした。機関車も通らず、坂道での一時停車と発進、全て順調でした。あとは直線コースでスピードを上げ、高速に達すれば合格という最終コースに来ていました。グン、グン、スピードを上げていく道の前方に巨大な石を発見しました。道路の真ん中に人の頭より大きな石が転がっていました。こんな場合のシナリオはありませんでした。どうしたものかを一瞬考え、最初はまたいで通るかと考えました。そしてそれが最善かとも思ったのですが、石はかなりの高さがあり、万一腹をこすって音がすれば明らかに不合格、安全策をとることにし、ハンドルを僅かに左へ切って前進しました。ところが近づくにつれ、その石は道の真ん中ではなく、やや中央線寄りに位置し、このまま進めば車は中央線を割り込んで対向線を走ることになり、後を向いている試験官には石は見えなくても、道の中央線は見えているので反対側に入り込んではまずいと思い、今度は心持ハンドルを右に切ってそのまま石の横をさっと走り抜ける心算でした。「ガタン、ガタン」御丁寧に前輪、後輪とも石の肩に乗り上げ、車は少し傾いた程でした。車に慣れていないので車の巾が良く分からなかったのです。さっと前を向いた試験官、おしゃべりも止め一言「戻って」自分でも情けないなと思う程ガッカリしました。「又ダメだったんだって?三度目で通るというのは新記録やで。それも悪い方のな」出来の悪い部下を持ったのが運の尽き、苦労が多いわといった感じでした。

 それから二十年程過ぎあの巨大な産業組合は無くなりました。私の記録を上回る人はコチア在職中は出て来なかったし、まして組合が無くなってしまった現在、本部で実施する試験に挑戦する人も出て来ないのですから。幾ら悪い方の記録とはいえ、私は永久に破られることのない記録保持者なんだと、元コチア産組本部の近くを通る毎に、一種のニガイ誇らしさと、あわててありもしないブレーキを踏んでいた試験官の姿を思い出して、独りニャリとするのです。