記憶をひもといて:マナ板

 毎日使うマナ板の中央部がへこんで来だした。そろそろ新しいのと交代の時期。然し作るのに適した材質の板がなかった。ブラジルのテレビ・ドラマを観ていると、時々マナ板無しで調理するシーンが出て来るが、日本人にはマナ板無しに料理を作ることはとても真似の出来ない芸当である。

 ブラジルで日系人向けに販売されているマナ板は、形、大きさの違いはあれ、材質は松材を使っていることが多いようだ。日本からの輸入品にマナ板もあるが品物はプラスチック製で、上質のものは相当値段も張って来る。何しろあの硬そうなプラスチックに何らかの柔らかみを加え、食材が良く切れるように工夫されているが、その頃はプラスチックのマナ板等に興味もなかったし、衛生的だと言われても、木製だって時々熱湯をぶっかければ事足りると気にもしなかつた。それでいてプロの使う職業用のマナ板は、大きな見本を抱えてレストラン廻りをした。ベンデドールとして、是非紹介しておきたい気持が手伝っていた。食材が切れ易くなった分、プラスチックと雖も何時かは中央部がへこんで来るのは避けられない。然しその時はマナ板の角を包丁で突き、薄皮を剥ぐように全体をサーッとめくると、カンナをかけたように平らになる優れた特徴を持っていたが注文は一軒のみに止まった。

 今考えてみると、日本の食文化に通じるスシ、サシミ、そして、その技を引き継ぐ腕のいい板前さんが厨房に立った時、プラスチックの白いマナ板が前にあつたのでは何かちぐはぐで融け合わなかったと思われる。売れない道理である。

 訪日した際、デパートでマナ板を捜した。檜で木目の美しい、大きさ、厚み、全て文句の言いようのない見事なものをみつけたが、弱いレアルで買える品物でなく、残念、無念と引き下がった。

 友人の家にお世話になって気がつくとそこのマナ板も相当へこみ方が激しく、同意したのでカンナを借りて真っ平らにしたが、厚味は半分になってしまった。帰伯後そのことが気になって、中央がへこんだままで多少切りずらくとも厚味があった方が使い易かったのではなかろうか、などと考えている内にあのマナ板が桐の木であったことに気がついた。桐の木は、柔らかさ、軽さを考えてマナ板に出来るとは思いもつかなかった。早速手持ちの桐の木の丸太、手引きのノコで時間をかけて引き切った。中央部は心持ち高く、厚みは優に三十五ミリの特別品である。使ってみると軽いので移動が楽、柔らかいので包丁にやさしかった。食材が切り易いのである。

 真に「眼からウロコ」である。乾くと色が白っぽくなり、その上で食材をきざむ時は、何故か豪華で賛沢な感じのマナ板を使っているような嬉しい気分になる。台所仕事にプラスになるのなら、何であれ、大歓迎と変なところに出てきた訪日成果を楽しんでいるこの頃です。

(2009年4月10日)