記憶をひもといて:「ちりとてちん」がやって来た

 輸入日本商品の揺藍期。これに呼応して、国産の新商品も次々と登場した。或る日、「買って欲しい」と持参された寿し桶。炊き上がった御飯を酢と合わせる時、欠かせない物。「普通は円型でしょう」との問いに、「俺の技術はまだそこまで行かないのよ」出された製品は八角型。開き直られるとそれ以上突っ込めない。然し、こちらから求めて来られた方ではない。その弱味をやんわりと利用させてもらった。「商品はちゃんと店に並べてみます。但し、売れたら月末払いという条件でどうでしょう」翌日、商品が届いた。捜していた人、欲しがっていた人が居たらしくボツボツと売れ始め、驚いた。これが日本の伝統的な技術を用いた商品との最初の出合いでした。

 ベンデドール(営業マン)になって、レストランへ輸入品の販売に専念している時、その人に会った。「指物師」彼の作る寿司桶は円だったし柾目の板で作った舟は見事であった。スシ、サシミが伯人の間で流行り、これを豪華な感じのする舟に美しく飾りつけて出すと人気があった。唯、日本製の舟では高価で数多く購入出来ない。国産なら数が買える。売ってみるとポッポッと注文が取れた。然し、この道にも先駆者が居た。唯、彼の製品は板を曲げる腕がなく、やむなく耐水ベニアで作られ、止めるのに釘を用いていた。

 釘も使わず、板の凸凹の組み合わせだけで止める技術は、それ買う側に知識があって初めて評価されるもの。高度な技術もそれを見る眼がない者には、問題にするのは価格のみ。安さ故、売る量は先方の方が何時も上。

 ベンデドールにとって、優れた商品に出合い、そんな商品が幾つか揃うと、その商品を通じて客との会話も弾み、使ってもらって感謝され、絆が又一段と深まる。自分の気に入った商品のみを販売するフリーのベンデドール。ベンデドールの独立だ、と夢を膨らませていた矢先、家内が病気になって戦列から離れた。日本伝統の技術も遠ざかった。

 NHKのテレビもゆっくり観れた。朝ドラは楽しかった。「ちりとてちん」が始まった。ドラマ中、見え隠れするかの如く伝統の箸職人が出る。高級な出来の箸とはどんなものなのか。想像するしかない。

 或る時、お世話になりましたと若狭の高級箸をいただいた。桐の箱に納った夫婦箸。

 暮れに近い夕食前、宣言するかの如く家内が言った。「もうこの箸取り換える」と。良く見ると成る程かなりくたびれている。出して来たのは例の夫婦箸。

 手に取ってみて、正しくこれはあの朝ドラの箸だと気が付いた。それなら私も。夫婦だけの静かな夕食。黙って食べていたのに、期せずして時同じく、言葉が出た。「何か違うね」良い箸とは、見掛けだけでなく、使う人の身になって作られているらしい。日本の伝統技術が、スーツと近づいて来てくれた一瞬。気持が豊かになった。

「ありがとう」

(2009年3月20日)