記憶をひもといて:「ナスビ」と「諺」

栗田の野うさぎ

 台所に立って、ナスビで何か一品をと考えると、ある諺が頭を過ぎる。「ナスビの花と親の小言」いや「親が先でナスビが後か」前後が定かでなく、それに諺としても断片的で完全ではない。「えーと、今日は焼ナスで行くか」その内に諺の方は忘れてしまう。或る時全部がスーツと浮かんで来た。

 「親の小言とナスビの花は、千に一つのムダがない」そうだ、こうだったと安心してその時は料理に打ち込めた。思うに昔の親は良く小言を云ったのだろう。私はかなり云わないように努力したのだが、子供が大きくなった時ちゃんと云っておくべきだったと思う様になった。子供が幼い時に小言を云い続けることである種の躾、親としての考え方を子供に伝えられたかも知れないことに気付いたが、時既に遅しで諦めた。時代は繰り返すと云うので、又その内に親が小言を云い出す時代が来るかも知れない。

 話が少し逸れたが、ナスビには縁が深い。仕事で二年間、毎日漬物作りに取り組んだ。当時、市販されてないうまい漬物を作れとの指示である。ナスの浅漬け、ヌカミソ漬、からし潰。漬け上がった時にナスビのあの色を維持したかった。教科書には「焼ミョゥバン」を加えよとある。随分と探したが、当時はみつけきれなかった。日本では、案外ポピュラーな材料なのにブラジルに無いのなら作ればいーじゃないかと「ミョゥバン」を買って分析室に持ち込み、事情を話して作ってもらった。効果は一目瞭然、出来上がりは際立った色になっている。

 然しアルツハイマー病はアルミと関係云々とのニュースが流れ出し、アルミの鍋は使っていませんと云う人まで出て来ると、焼ミョゥバンも少し気になって替りに「さび釘」に変更したが、アルミとボケとの関係は今でも定かでない。アルミの化合物たる「焼ミョゥバン」は全く関係ないのかも知れない。

 ナスはヌカ漬けが一番と思ったが、この漬物、時間の経過と共に味が変化し、販売するには更に一工夫が要るようで、設備投資がまゝならず二年で幕を閉じた。覚えた技術は時々試してみるが、ヌカ漬けだけはヌカ床を毎日掻き混ぜる真面目さに欠け、実行できかねている。

 ある時、ナスを植えてみてはどうだろうと考えた。諺通りに行くならば、花さえ咲けば実に成りそうだ。早速種屋に走ったが、日本ナスの種は高価でこの種代では週末のフエイラ(青空市場)で何回ナスが買えるかと考え込んだが、趣味は高くつくものと考え直し、時期まで待って種を蒔いた。

 花が咲いて実をつけることゝ、立派なナスになることとは次元が違うらしい。堆肥、土づくり、施肥、消毒と全てちゃんとやらねばいいナスは実らないことを思い知った。一人前の農業者になるのは並大抵のことではない。

 あの諺は、きっと篤農家の口から出たもので、決して街住まいの親から出たものではないと、自分の経験から勝手に推量している。

(2009年1月9日)