記憶をひもといて:青年の森から蝶へ

 国士舘の「青年の森」の下草刈りに参加したその翌日から、両腕と顔に何かしら奇妙な違和感を覚えた。

 最初は日焼けかなと思ったが、時間の経過とともに増幅していくようで、これはダメだ、本物だとピンときた。コチア産業組合に勤め出し、百姓から足を洗った後は、久しく忘れていた記憶あるいは一種の病気、珍しく年月が経って再会したこの奇妙な感覚、その正体は「漆負け」我慢できずに掻くと痒みは増して、上半身から下半身へと赤斑は広がり、日頃小さなチンポコも腫れて大きく一人前となり、痒みに悩まされながらの一週間、その期間が過ぎるとあれほど苦しめておいて、スーと何事もなかったかの如く消えていくこの奇妙な病気、これまでに何度患ったことか。それでいて免疫体質になれないのだから漆職人はどんな修業をして慣れるのか?。

 事の起こりは小学生の時、初めて参加した野外昆虫採集で珍しい大型の蜂を捕まえたのが始まりで、それから病み付きとなって、ズンズン蜂採集にのめり込んで行ったのだが、幾ら注意に注意を重ねてもチクリとやられることが重なると痛みと腫れが引くまでの辛さは特別で、いつの頃からか蜂から蝶へと鞍替えした。刺されない分、楽にはなったが蝶採集は蜂以上に苦労が伴い、特定の蝶に狙いを定めると、その蝶が飛来する「蝶道」のすぐ側で、いつ飛んでくるともわからぬその蝶をじっと待ち続けることになる。蝶に気を取られているので木陰を作ってくれるその樹が何なのかは二の次で、蝶は捕れたがうるしに負けという事故を繰り返した。

 ブラジルにきて、配耕先はアチバイアの養鶏場だったので、野外に積み上げた鶏糞に無数の蝶が集まり、ハッとするような綺麗な蝶を目にすると、また蝶取りが始まった。愛くるしい88等、最初は簡単に集められたがその内にもっと別の変った蝶が捕りたくなる。行動半径をマット(原生林)の近くや、野生の草花が繁る原っぱの辺等足をのばしたりしていると翌日から顔が腫れ、あの感覚がやって来る。ブラジルにも漆の木があり、それもブラーボと名のつくひどい木が自生しているのに気付いたが、優先するのは蝶の方で少なくとも一週間は苦しめられる。

 振り返ってみると蝶との付き合いもかなり長かつた。機会があって石垣島まで遠征出来た時は、亜熱帯の珍しい蝶を捕まえることが出来たし、一番の思い出は大型の白い蝶だった。

 蝶は普通上下、左右に激しく震えるようにリズムをつけて飛来する。蝶道近くで待っていても、昔の辻斬りではないが、ちょっとやり過ごして斜め横からなぎ倒すように網を一振り、真に一発の真剣勝負。そんな経験を積んだ後でのこの大型の白い蝶。自分に邪魔する者はこの世に存在しないと独りで決めたかの如く、あたかも飛行船のように人の頭上を悠々と飛んで行く。ふと遊び心が湧き上り、捕虫網を右手に持ち、高さを決めると五月の鯉のぼりの如く、網を風になびかせて全速力でこの蝶を追っかけた。追いつくと蝶は吸い込まれるように網の中に入って来た。期待通りの結果が得られたことに満足し、何かユーモラスとも思われるこのような捕獲の仕方に、驚くとともに忘れられない一コマとなって深く記憶に残っている。それに似た蝶が伯国(ブラジル)にも居てアチバイアへの行き帰り、山脈を通過する時、マットの遥か上方を悠々と飛んでいるのを発見した。高すぎて捕えることは出来ないが、見つけただけでもあの時の光景が浮かんで来て心が和んで来る。唯その蝶も近頃はみかけないので、人間の環境破壊の結果なのかと思うと、いよいよ蝶の人工養殖も必要かとも思われる。

 ニッケイ新聞に西岡吾一氏が、蝶と茸をカラー写真に撮っているが名前が判らないので誰か助けを、との記事が載り螺図鑑を役立ててもらえればと連絡をして、氏の作品を拝見させてもらった。昔写真館を経営していたそうで写真技術はプロ。出来上がった写真の蝶は中々見事なもので、私が捕ったこともない蝶がそこに鮮やかに写っていた。西岡氏の言われるのは「近頃蝶が見られなくなった」と。「遠方まで行くにもこの齢では昔のように行けないので、近頃はもっぱら茸の方が専門になりました」と。

 雑木や草花がおい繁ってこそ昆虫達は生きられるが、マットが畑になり、サトウキビ畑にとって変ると、昆虫達は生きていられなくなって来る。

 初めてイグアスの滝を観に行った時、巨大な滝と共に、無数に飛び交う蝶を見て感心して帰ったが、あの時蝶は自然の中を飛び廻っていた。

 あれから二十六年、新しく出来たという蝶の温室にも案内してもらった。ごく普通種が広く高く囲った金網の中で十種類くらいが飛び廻っていた。蝶を好きな時期に孵化させる技術が、ブラジルでも実施され始めたんだと実感した。ニュースとして日本での人工孵化による季節はずれの蝶園開館は、何度か目にしたがそれが伯国(ブラジル)でとなると、この時が初めてで唯一であった。

 帰聖後、日本から大切に保管し続けているノートを開いてみると、蝶の人工孵化は温度摂氏二十度以上で、十六時間以上の照明下で飼育すると蛹は半月前後で孵るとある。四十数年前新聞から興味あって書き写したが、そんな昔から蝶の一生を研究し、結論を得た人が発表した結果であるが、流石日本人と脱帽せざるを得ない。しかし、この伯国でそんな先進国の技術を用いねばならない程自然破壊が進んでいるのなら、私達の周囲から全く蝶が見られなくなるのも時間の問題かも知れない。今年は第二のコチア青年の森として、桜を一人が一本ずつ植林しようとの案が出ているが、同時に各地でもっと植林と取り組んではどうだろう。

 貴方の周りで今日も蝶が飛びまわっていますか?