記憶をひもといて:自慢話は一度だけ?

 自慢話と言うものを最近余り耳にしなくなりました。一つにはそれ程頻繁に、現役時代のように人に会わなくなったせいかも知れませんし、或いは以前のようにもう若くなく、友達も含めて人様に自慢できるようなことをする年齢から遠退いたせいかもしれません。私も現役だった頃、一度だけ自慢できる仕事を成し遂げたことがあるのです。私の自慢話というのはフランゴ(ブロイラー:鶏)の飼育に関するものでした。

 フランゴの肉は安い蛋白質として庶民には人気の食材ですが、鶏そのものは血統書のあるエリート中のエリートなのです。田舎の中庭に放し飼いされている鶏とは真に「月とスッポン」、僅かの餌でぐんぐん肥える能力は、他の鶏の追従を許しません。それ程由緒正しい純血の一団、それがフランゴの身分です。それ故、この点が観方を変えると弱点でもあるのです。

 双子の兄弟を持つ母親は育児が大変だという話ご存知でしたか?。年齢が離れている兄弟には普通あり得ないことが、双子の場合は起り得るといいます。独りがぐずりだすともう一人が、片方が病気になると他方がすぐに後を追っかけ、二人とも病気、そんなケースが多すぎるといいます。

 フランゴの集団、これは双子ならぬ全群が殆ど兄弟なのです。一羽でも病気に罹るとあっという間に病気は全体に広がり、肥育は失敗、大きな赤字を覚悟しなければならないでしょう。入雛から出荷までの四十数日間、気が休まらないのは無理からぬことなのです。

 孵化場が経営している飼育場がありました。初めの頃は兎も角、成績が徐々に悪化し、食用に供されない病弱なフランゴしか出荷できない程成績が落ちました。フランゴ飼育は全員が成績を上げないことには、利益率が低下します。で、これは問題になりました。とどのつまり、養鶏場を巡回指導する技師がそこに駐在し成績を上げれという指令が出されました。

 トップバッターの成績は、及第点がもらえるものでした。しかし、その程度の成績では満足しない方もおられたのではないかと思います。広々とした鶏舎で、組合の雛とエサを用い、この成績なら俺達と同じだと。巡回技師は一応はプロの集団です。

 私は二番バッターでした。フランゴの飼育は好きでした。ましてこんな環境の良い鶏舎で、五万羽からの飼育が出来る滅多にないチャンスです。良い成績とは、毎月発表される飼育者ベスト三十の五位くらいに食い込めば納得してもらえるだろうと考えました。

 五万羽は二回に分けて入雛、一回目は普通の飼育、二回目は飼料に成長促進剤を添加しました。薬は出荷一週間前には、人体への影響を考え休みます。下手をすれば薬品代の赤字、効果が現れずのケースもあり得ます。しかし踏み切りました。雛は百羽入りの輸送箱二百五十個、箱から雛を取り出し、水を与え、しかる後エサを与える。次々とその作業を終え、最後にもう一度全群の点検。育雛器の下で雛がバラバラに散らばって首を伸ばし眠っていれば大成功。育雛の温度は適温です。

 とある育雛器の側まで来ると、まだ雛を取りだしていない箱を五個見つけました。最初が肝心なのにこの不注意です。この部屋は飼育期間中、特に観察を厳重にし、少しでも発育遅れの鳥は捕まえて殺しました。

 病気は弱い個体から始まります。

 入雛一週間は夜も雛の観察です。ガスの出方は正常か、風でガスが消えていないか、チョットした不注意が成績を悪くします。

 早朝、まだ空気が冷んやりした中を、朝露で湿った芝生を踏み分け、雛を観察して歩くのは実に楽しい作業です。頭の中には、鳥の日令と大きさの標準がイメージとしてあります。それに照合しながら鳥の成育を判断します。フランゴはエサを食べれば肥えるように改良された芸術品です。和牛では夏バテを防ぐ意味でビールを飲ますといいますが、フランゴにその手は使えません。給餌回数を増やす、一回でも増やす、これです。「親父の足跡は肥料に勝る」と実行されたコチア青年の先輩がおられましたが、鳥の飼育でもそれは言えそうです。客観的にみても、日令より実物は二日間分良く肥えた鶏に育っていました。

 緊張から開放される日が来ました。良く肥えて歩くのさえ重々しい鶏が、屠殺場へ出荷されました。期待の一群はその月の成績発表では第三位を獲得しました。飼育羽数の大きさまで考慮すると、堂々たる成績でした。薬の添加は確実に現れ、良く肥えた割りに飼料消費量は少なく、大幅な利益が出ました。養鶏家に試してもらいたかったことを、自らが実行し予想通りの結果を得、実例が出来たことに満足でした。私の後に続く人のことを考えることなく、私はその時大いに自慢すべきでした。

 「名選手、必ず名監督ならず」といいますが、技師はいわば監督の立場、自ら野に下って選手たらんとしても巧く行くとは限りません。それがいきなりホームランをかっ飛ばしたのですから鼻を高くしても良かったのです。

 挑戦者全員が終わるまで口をとざし、続いて別の仕事の辞令をもらい、私は戦列から離れ自慢する機会を失ってしまいました。

 四、五年後、新しい仕事にも慣れたある日、古巣に立ち寄り、最近のフランゴの成績を見せてもらい唖然としました。そこには素晴らしい飼育成績がずらりと並んでいました。

 毎年毎年、フランゴの能力を高めるべく努力している育種家の努力の結果、品種改良された鶏の優れた能力を反映した成績が、そこに歴然と読み取れました。

 表を見ながら昔の私の成績は、というのさえ恥ずかしい程それは過去の数字となってしまっていたのです。