記憶をひもといて:ゲート・ボール

栗田の野うさぎ

 早朝からボールと戯れる一団がある。ときには上から下まで、ピシリと白の制服で固め、白い手袋まではめている人もみかけられる。そう、ゲート・ボール愛好家の一団である。

 家内が脳梗塞で倒れ、マッサージと本人の努力で運動機能がほぼ回復した時、「ゲート・ボールにつき合わないか」と誘われた。病気になられ、やむ無く世間一般の「停年」一年前にリタイヤし、まだ一月の生活習慣が固まっていない時期でもあり、断る理由もみつからず、彼等の仲間入りをした。

 初心者の間は何事も先輩の言われるままに従ったが、この競技、日本生れだけあってその規則のこまやかなこと、微妙なこと、こうしてはダメ、そうやっては反則、それはマナー違反と、このルールを考えた人は、余程神経の繊細な妥協を許さぬ人だったのか、傍観者的立場で眺めると、これは真に小姑的発想の競技、規則ではなかろうかと思われた。自分の球でも打ち方を指示されるし、自分の思うようにはやれず、心底困ったなと思うことがたび重なったが、練習を積み、競技に余裕が出て来ると観方が変わって来た。

 これはボケ防止に最適の競技ではなかろうか、と。敵球はどこに何番の球が転がっているか(五球ある)それを覚える必要があるのに中々それが困難で一年労。この競技、基本的には点取り競争なので、味方のこの球、点を取るように配置すべきか、それとも敵陣深く刺客として送り込み、一暴れして敵球を場外へ放出し、相手の点取りを阻止した方が、より味方に有利なのか、流動する局面をよく理解し、味方に有利な戦略を考えて実行する。頭の中はフル回転、ボンヤリなんかしていられない。

 或る試合中、一人の女性が横でボツリと呟いた。「ゲート・ボールって意地悪好きな人にはピッタリのゲームみたいね」と言われてハッと気がついた。「そうだ、それなんだ、その通り!」覚えておられますか、長谷川町子さんの漫画。「イジワル婆さん」、何かを仕掛け、「イッヒッヒー」と声を殺して笑う。あの境地に達するには、兎に角、練習あるのみ。遠い球でもネライをつけて必ず当てる。

 当たれば「ヤッタ!バンザイ」と、もうこっちのもの。それに決め付けは、少し前方の味方の球に狙いを定め、恰も意地悪餓鬼がモッサの尻を撫で、キャッキャッと笑いながら逃げ去って行くかの如く、ボールの腹を撫でるように触れ、前方へすっ飛んで行く。球の止った近くに敵球が陣取っていれば、後は焼いて喰おうと煮て喰おうともうこっちの勝手。そんなことを想像しがらハッシと打つとアッ、球はタッチを忘れ素っ飛んで行く。何と悲しい独り旅。タッチ無しではそこまでで、敵の餌食にされるだけ。失敗は許されません。一に練習。二に練習。頭脳の練習。ボケ防止。貴方も仲間に入りませんか。

(2008年12月19日)